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谷祥子
友達とは、家族ほどに曖昧な名前であると思っていました。それは、あなたが呼んでくれるものなのか、私が呼んでもいいものか。『わすれられないおくりもの』は保育園児の頃から本棚にはあリましたが、読みたいと思い、手を伸ばした記憶はあまりありません。文字が多く、絵だけでは伝わらないそれが、もどかしく同じ絵本を何度も何度も繰り返し読み、読み終わった後は好きなページを開いてじっと見つめていました。それは今でも変わらなくて、でも、数ヶ月前、その〈わすれられない〉という引っ掛かりのある題が気になってしまい、床に寝転びながら本に指先を伸ばしていました。他の絵本よりも傷がなく、焼けていたりくすんでいたりもせず、でも、薄く埃がかかっていたことにほっとしました。
開いて、アナグマの死。頭が良いアナグマは、頭が良いからこそ自らの死を予兆していました。〈死〉からはじまる物語にも驚きましたが、スーザン・バーレイの描く穏やかな絵に乗せられて読み手もすんなりとアナグマの呼吸についていける構成に惹かれてゆきました。とうとう、アナグマの死を迎える仲間たち。アナグマの残したものといえば手紙だけ。それから、アナグマの〈友だち〉は亡くなったアナグマを失わないよう、思い出を解いてゆきます。〈死〉を考える者はいつだって残った人。友達とは、家族ほどに曖昧な名前ですが、とても簡単なカタチ。ただ、与えあう。たったそれだけのことでした。ものや気持ちだけでなく、
知識も、時にはアナグマのように〈死〉という考えも。いつの間にか膝を立て前屈みに絵本を覗いていた私は、モグラに切り紙を教えているアナグマがいる表紙をじっと見つめていました。