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ねじまき鳥クロニクル

村上春樹

新潮文庫 / 1994年

  • 読み手:  松岡智晴

    私の小説人生の始まりは、中学時代まで遡る。
    当時の友人に薦められるままに始めた小説投稿サイトで、自分が思っていた以上に高い評価を得ることができたという経験が一つ。そして、ある本と衝撃的な出会いを果たしたことが一つ。
    今回は、その本について紹介しようと思う。
    おそらく、朝に読書の時間を設けている学校は少なくないだろう。私が通っていた中学も、そのうちの一つであった。
    思い出すに中学二年の秋頃だっただろうか。小説を読まぬ母が突然その本を渡してきたのが出会いである。(最近になって判明したことだが、その本は母が友人から貰い受けたものだったらしい。母は自分では読まないから、と私に渡したのだそうだ。)
    村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル」。
    私の小説人生に最大の衝撃を与えた作品である。
    私はそれを朝の読書時間にコツコツと読み進めた。「ねじまき鳥クロニクル」は私が今まで読んだ中で最も長い作品で、かつ難しい作品でもあった。全て読み終えるのに三ヶ月以上かかった記憶がある。
    意味がわからない。
    書評にあるまじき文言だということは百も承知なのだが、それが私がこの本に対して最初に抱いた感情だった。
    まず、この作品はわかりやすいジャンル分けができなかった。サスペンスでも恋愛ものでもなければ、青春ものでもない。謎といえる謎はあるのだが、それが解決したのかと言われればそうでもない。登場人物の目的でわけることもできそうなものだが、当の本人達が目的を聞かれて「わからない」や「教えない」と言う辺りやはりわからない。
    更には、情景を想像することはできても、何故その状況になったのかがわからない、なんてこともしばしばである。現実の世界と妄想・精神の世界が前触れもなく入れ替わる、といった感じである。これが私を酷く困惑させた。読み進めるのに苦労した一番の理由と言ってもいい。
    とにかく、わからないことが多すぎて印象に残っていると言っても過言ではないのである。
    そして、大学に、文芸ライティングコースに入った今になって、私はこの作品が自分の中に残した爪痕を改めて確認することとなった。
    初めてあの作品を読んでから三年以上経ち、またあの頃より多くの本に触れた最近。私はそれまでに読んできた本の数々を思い返す機会があった。その時、真っ先に思い浮かんだのは、やはり、この「ねじまき鳥クロニクル」だったのである。そしてこの時、私は初めてこの本の分析を試みた。なぜこんなにもこの作品に惹かれているのか、理由を得たかったのだ。
    分析を始めてみたものの、やはり前からわからなかったところは分からずじまいであった。しかし、この本の魅力はなんとなくわかったような気がする。
    大きな理由の一つは、登場人物達の「わからない」ところ。とにかく素性や目的のわからない人物が多いのである。そしてそれは、物語が終わっても明言されることはない。シナモンやナツメグは良い例だろう。彼らは問題を抱える主人公の前に突然現れたかと思えば、主人公がその問題を解決すると別れを告げて去って行った。なぜ主人公のことを知っていたのか、なぜその問題について知っているようだったのか、もう「なぜ」だらけである。登場人物の過半数はそんな感じなのだ。なにかをわかっている風な面をして主人公の前に現れ、そして去って行くのである。
    わかることといえば、彼らは皆、主人公になんらかの影響を及ぼしたくらいだろうか。ある者は主人公の命を救い、ある者は主人公の命を脅かし、ある者は妻のいる主人公と(一度きりの)肉体関係を持った。
    しかしやはり「わからない」の方が多いことには変わりない。けれど、私はこの「わからない」ことがこの作品の魅力なのでは、と思い始めたのである。
    「わからない」ことが「おもしろい」。
    分からずじまいで良かったのだ。それが私が出した結論である。現に、その「わからない」という衝撃が数年経った今も私の記憶に焼き付いて離れずにいるのだから、「心に残る作品」として正解なのだろう。

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