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老師と少年

南直哉

新潮文庫/2009年

  • 読み手:  中井夏希

     「種本」。誰も彼もにあるわけではない、自分を形作った本。それは性格面かもしれないし、趣味の方向性や、はたまた読書の方向性を定めたものでもあるかもしれない。この企画の話が出たとき、幸いにも、私にはいくつか候補があった。
     主が幼少期に読んだもので、絵本ならしろくまちゃんシリーズ、ぐりとぐら。うさこちゃんも大好きだった。児童文学なら『エルマーとりゅう』、『ロボットカミイ』、『おおきなおおきなおいも』、『ももいろのきりん』。もう少し高学年向けであれば、それは青い鳥文庫でおなじみの夢水清志郎シリーズやパスワードシリーズ、もしくは少年少女世界名作全集にあるような怪盗ルパン、シェークスピア。岩波少年文庫の『ナルニア国物語』や『ゲド戦記』。そして何より私にとってのバイブルだと言って差し支えない『はてしない物語』だ。
     しかし今回、そのうちのどれをも、私が選ぶことはなかった。私をよく知っている人ならばおなじみの「どうせなら」の発動である。ここに挙げたそのどれもが、確かに私の人格形成に一役買っていると断言できるが、そんなものはそれこそ、「誰も彼も」である。仮に読んだことがなかったとしても、一冊くらい題名を聞いたことのあるものがここには並んでいることだろう。大衆がすでに知っている本で自分を語るのは簡単だが、そこにただただ迎合するだけならこんな文章は必要ない。
     間違いなく私を形作り、価値観を書き換え、かつ誰かに読んでほしいマイナーな本。それこそが、私がこの企画を通してその魅力を知って欲しい『老師と少年』である。「どうせなら」誰も知らない本を使って、私の見せたことのない中身を曝け出してもいいのではないだろうか。ちょうど、卒業制作のテーマにも沿うことだし。(なお、この時点で完成していないのでとても慌てている。)
     この本の作者は南直哉。この南という人は禅僧をしていて、つまりこの本は題名から察せる通り、禅問答に近い構成をして物語が展開されている。テーマは「死んでいくこと」、「生きていくこと」だ。私がこの本と出会ったのは高校生の頃だった。種本と言うには少し時期が遅すぎるような気もするが、実際にそこが私の思想のターニングポイントだったので仕方がない。
     この文章を今読んでいるあなたは、果たして今までの人生の中で死について考えたことがあるだろうか。ぼんやりとではなく、自分が死んだ後、他人が死んだ後に思いを馳せたことはあるだろうか。何が変わり、何が変わらないのか。遺していったものはどうなるのか、今この瞬間死んでしまったなら、こうして思考している私はどこにいってしまうのか。私はある。あると言うより、もうかれこれ十五年ほどずうっと死について考える時間を持っている。それは精神的に非常に負担のかかることで、理由はそれだけではないが、私の自律神経をボロボロにするのに確実な一役を買っている。
     対して、この本は、そうした私の擦り切れた精神を助けてくれる本だ。内容は掌編小説と言っても差し支えのないほど短い、老師と少年の応酬のみをつれづれに綴っているだけのものである。けれどその文体こそが、穏やかに、そして根拠のない希望などを示すこともなく、真っ直ぐ真摯にこちらの言葉に耳を傾けてくれるのである。それは、先に挙げた本のどれも、私にもたらしてくれることはなかった種類の安心感であるとも言える。

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