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松野美夢

『少年の憧れ』

幼稚園に通っていた頃、大好きな先生に「エルマーのぼうけん」を読み聞かせてもらった。元から“可愛くてやさしくて大好きだった先生”なのか、“エルマーのぼうけんを読み聞かせてもらって大好きになった先生”なのかは記憶が定かではないが。とにかく、「エルマーのぼうけん」は私が本を好きになったきっかけだった。今まで絵本しか触れたことがない幼児が児童文学に初めて触れた瞬間だった。
幼稚園の先生にエルマーのぼうけんを聞かせてもらってから、すみれ組ではエルマーのぼうけんごっこが流行った。ライオンのようにリボンで髪を三つ編みにして結んであそんでいたし、色の変わるチューイングガムで遊んだりもした。給食にみかんが出れば、みんなはみかんの皮まで食べた。私も食べた。苦かった。わたしはりゅうではないからだ。
私のカバンの中には、家と車の鍵、壊れかけのブルートゥースイヤホン、ティッシュと折り畳みエコバック、八千円ほど入っている三つ折り財布に、化粧ポーチ、ルーズリーフと授業の資料が入ったファイルに、クルトガやマッキーが入った筆箱。それとハンドクリームが入っている。ももいろのぼうつきキャンデーやむしめがね六つが入っているわけでもない。私はエルマーでもないからだ。なら、みかんを六十九こ詰め込めばエルマーになれるのか。そういうわけではない。
一つ、記憶にあることは、私はみかんの皮を食べられるようにすることよりも、リュックにみかんをたくさん詰め込むことを優先して挑んでいた。エルマーみたいに一人で大冒険をしてみたいとも思っていた。それが、叶ったのは高校二年生のときだった。その時は、エルマーへの憧れなど忘れていたが。年老いたねこが、私に話しかけてくれないだろうか。
私がこれを書いている間、日の当たる布団でくつろいでいた三毛のねこに話しかける。
「ハナ。」
ハナという名前は、鼻にほくろのような模様があることから名付けられている。ハナから返事はない。ただ、こっちを数秒見つめて、何もなかったように眠りはじめる。
もう一匹のタンスの上にいる灰色の毛並みのねこにも話しかける。
「ポロ。」
私と、ポロの、にらめっこが始まった。ポロという名前は、姉の愛車から名付けられている。なんとなく、風格や容姿から、お前はとしとったのらねこになれそうだなと思った。しかし、そういえばこいつは野良になったことなんかないと気付いてから、にらめっこが退屈になってやめた。やっぱり私はエルマーにはなれない。
この文章を書いてから、無性にミカンの皮を食べてみたくなった。
食べた。
苦かった。

ルース・スタイルス・ガネット さく
ルース・クリスマン・ガネット え
渡辺 茂男 訳
福音館書店
『エルマーのぼうけん』(1963)
『エルマーとりゅう』(1964)
『エルマーと16ひきのりゅう』(1965)

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